2009年06月22日

逆ユートピア

20世紀に入ると、「理想郷」と宣伝されていた共産主義国家や全体主義国家が現実の存在となったが、その理想と実態の落差を批判する逆ユートピア小説が描かれた。これもユートピア文学の紛れもない一種である。たとえばH・G・ウェルズの『モダン・ユートピア』(1905年)、エヴゲーニイ・ザミャーチンの『われら』(1924年)、オルダス・ハックスレーの『すばらしい新世界』(1932年)、ジョージ・オーウェルの『1984年』(1949年)や、エルンスト・ユンガーの『ヘリオーポリス』、レイ・ブラッドベリの『華氏451度』などの小説によって管理社会、全体主義体制の恐怖が描かれた。これらに描かれた国家は、一見すると平穏で秩序正しい理想的な社会であるが、徹底的な管理により人間の自由が奪われた逆向きのユートピア(ディストピア)とされた。当時の共産主義社会や今日の管理社会に対する予見であり、痛烈な批判である。またそれを生み出した過去のユートピア思想や、その背景となった文明自体も攻撃対象である。

ディストピアを描いた小説が登場する前に書かれたユートピア小説も、現在の目から見るとディストピアではないかと思われるものが多いという説もある。これらの理想郷は、決して「自然の中の夢幻郷」ではない。それは人工的で、規則正しく、滞ることがなく、徹頭徹尾『合理的』な場所である。西ヨーロッパにおいてはこの模範はギリシャ社会を厳格に解釈したものに求められる。こうして生まれた「ユートピア」自体にディストピアの種が内包されていたのであるという説もある。

以下に、過去のユートピア文学で表現されてきた「理想郷」にしばしば共通する特徴を挙げる。

周囲の大陸と隔絶した孤島である。
科学と土木によってその自然は無害かつ幾何学的に改造され、幾何学的に建設された城塞都市が中心となる。
生活は理性により厳格に律せられ、質素で規則的で一糸乱れぬ画一的な社会である。ふしだらで豪奢な要素は徹底的にそぎ落とされている。住民の一日のスケジュールは労働・食事・睡眠の時刻などが厳密に決められている。長時間労働はせず、余った時間を科学や芸術のために使う。
人間は機能・職能で分類される。個々人の立場は男女も含め完全に平等だが、同時に個性はない。
四季の山野草・高山植物情報
金魚知識
農業について
お茶の発祥
かわいい赤ちゃん
観葉植物広場
アロマの木
ガーデニング辞典
歴史飛鳥時代
自転車に乗って
博覧会
転勤
海図
過敏性腸症候群
アウトドア
柔道
メタボリックシンドローム
ミュージカル

オカルト

なお、一般市民の下に奴隷や囚人を想定し、困難で危険な仕事をさせている場合がある。
物理的にも社会的にも衛生的な場所である。黴菌などは駆除され、社会のあらゆるところに監視の目がいきわたり犯罪の起こる余地はない。
変更すべきところがもはやない理想社会が完成したので、歴史は止まってしまっている(ユートピアは、ユークロニア(時間のない国)でもある)。
以上のような、時計のように正確で、蜜蜂の巣のように規則的な社会像は、古代ギリシアの哲学者プラトンの『国家(理想国家の概念を描いた)』、『ティマイオス(金銀財宝に満ちオリハルコンなど不思議な技術を誇った豪奢な専制王国アトランティスが、ギリシアを侵略しようとして神の怒りに触れ滅亡する)』以来、ルネサンス期・啓蒙主義期に流行した『ユートピア』などの理想都市案から20世紀のディストピア小説、現実の共産主義国家のあり方までに共通するものがある。

このような社会の理想としてあげられるのは、西ヨーロッパにおいては彼らによって再解釈された『古代ギリシャ』である。一説によればプラトンの時代はペルシアなどの脅威によりギリシア諸国が揺らいだ時期だったが、おそらく彼は理性を『ギリシャ的』なものと決めつけ理想化し、それに対立する非理性的で欲望に満ち溢れたもう一つの世界アトランティスを思い描いたのであろうとしている。

こうした理性を中心としたユートピア的理想社会に対し、バロック、マニエリスム、シュルレアリスムなど反発する思想的動きが相次いだ。現在の先進国では、ともすれば資本の効率的利用や社会の安全・健康増進・効率化を名目に、事実上の管理社会が実現されてしまうこともあるが、一方ではたとえば『ユートピア』的な都市・国土計画よりは、いいかげんでヒューマンスケールの迷路的な旧市街や、曲線的な街路を持った商業地・住宅地の混在が見直されてもいる。またフィクションの世界でも『ブレードランナー』的な一見悪夢のような混沌とした未来が、逆に人間的な世界として評価されることがある。

ユートピアとは、結局のところ、唯一の価値観、唯一の基準、唯一の思想による全体の知と富の共有は、たしかに反するものが存在しないという意味で平和で理想であるだろうが、その実現には人間的なものや自由をすべて完全に圧殺しなければ実現しえないことを明確にあらわしたものであり、理性以外のすべてをそぎ落とした果てにあるものの機械的な冷酷さをあらわしたものである。

それは外面的には牧歌的で平和主義あろうと、人間を抑殺する実態をそなえている。(社会・共産主義国とその思想者がそうであった、またそうであるように)

2009年06月05日

二階堂氏(にかいどうし)は、陸奥国の岩瀬郡を支配した

二階堂氏(にかいどうし)は、陸奥国の岩瀬郡を支配した戦国大名。須賀川城を居城とした。

二階堂氏は藤原姓で、南家藤原武智麻呂の子孫を称している。工藤行政が源頼朝に仕え、二階堂が存在した鎌倉の永福寺周辺に屋敷を構えたので二階堂氏を称したという。行政には行光と行村の二人の子がいた。二階堂氏の子孫は実務官僚として鎌倉幕府、室町幕府に仕え、その所領は日本全国に散在しており、多くの庶子家を輩出した。須賀川二階堂氏の詳しい系譜は明らかではない。

文安元年(1444年)頃、鎌倉から二階堂為氏が須賀川に下向し、命令に従わなくなった須賀川代官二階堂治部大輔を討ち、須賀川城に入ったという。この為氏が須賀川二階堂氏の初代当主ともいわれている。

天文11年(1542年)に勃発した天文の乱と呼ばれる伊達氏の内訌に端を発した大乱では、伊達稙宗の娘婿二階堂照行は稙宗方となっている。

永禄年間(1558年~1570年)になると、度々蘆名氏に攻められ、二階堂盛義は息子を人質として送り講和した。
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盛義の死後当主となった二階堂行親は夭折し、その跡は盛義の未亡人であり、伊達政宗の伯母にあたる阿南の方(大乗院)が継いでいた。そのため政宗も幾度となく降伏を薦めたが、阿南の方はこれを頑強に拒否。天正17年(1589年)10月26日政宗に攻められて、須賀川城は落城した。阿南の方はその後政宗を嫌って甥の岩城常隆を頼り、常隆の死後は佐竹義宣の元に身を寄せた。佐竹氏が出羽に移封されると病のため須賀川に留まることになり、1602年に62歳で没したという。

なお、薩摩国の戦国時代の有力国人で後に島津氏家臣となった二階堂氏は、この一族の一部が鎌倉時代末期に所領の一部のあった薩摩国阿多郡(現鹿児島県南さつま市)に下向以後土着した流れで、後にこの系統から二階堂進を輩出している。

2009年05月02日

離型材を塗った芯棒

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巻き付け - 離型材を塗った芯棒(鉄、ステンレスが主に使用される)に、バーナーで溶かしたガラスを巻きつけ、形や文様を作る。とんぼ玉制作で主に使用される技法。
ロール - 熱したガラスを板状に延ばしてから芯棒に巻き取る。ミルフィオリを制作する際に用いられる技法。
ホットキャスト - 溶けたガラスを鋳型に流し込み、成形する。
パート・ド・ヴェール - ガラス粉を鋳型に敷き詰め、加熱する。アフリカのキファは主にこの技法で制作されている。
型押し - 溶けたガラスを金属の型に挟み込んで成形する。星形、ハート形などを作る際に使用される技法。
管引き - 中空のガラス管を作り、希望の長さに切ったあと断面を研磨する。シードビーズを作る際に用いられる技法。
研磨 - ガラス塊を研磨して成形する。

2009年04月18日

鷹(たか)

鷹(たか)とは、タカ目タカ科に属する鳥のうち比較的小さ目のものを指す通称である。 オオタカ、ハイタカ、クマタカなどの種がいる。タカ科に分類される種にて比較的大きいものをワシ(鷲,Eagle)、小さめのものをタカ(鷹, Hawk)と呼び分けているが、明確な区別ではなく慣習に従って呼び分けているに過ぎない。また大きさからも明確に分けられているわけでもない。例えばクマタカはタカ科の中でも大型の種であり大きさからはワシ類といえるし、カンムリワシは大きさはノスリ程度であるからタカ類といってもおかしくない。
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人間との関わり
縄文時代の遺跡からはタカ類の骨が発掘されており、当時は人間の食料であったと考えられている。
鷹の糞は「鷹矢白」(たかのくそ)として、医薬品として用いられたことが平安時代の医薬書である『本草和名』(ほんぞうわみょう)に記載されている。
タカ科及びハヤブサ科の鳥は優れた狩猟の能力をもつため、古くから多くの国で厳しい訓練を施したうえで鷹狩に使われてきた。
モンゴルや中央アジアの遊牧民の間では「鷹」という言葉が力ある者の象徴として人名に用いられた。トゥグリル・ベグの「トゥグリル」やオン・ハンの本名「トグリル」はいずれも鷹という意味である。
イソップ寓話には『鷹と矢』という話がある。内容は、ある鷹が獲物の兎を狙おうと岩の上から目を凝らしていた。そこへ物陰に潜んでいた射手が矢を鷹目がけて放った。矢は心臓に突き刺さり鷹は倒れた。虫の息の鷹が矢の矢羽根を見ると、矢羽根は鷹の羽で作られていた、というもので「己を滅ぼす者は己である」といった教訓を導く話となっている。

鷹を名称に用いたもの
鷹の「速く飛び、力強い」イメージから、航空機や電車、車など様々なものに「鷹」という名前、あるいは愛称が付けられている。

プロ野球球団、福岡ソフトバンクホークスのタカのキャラクターは「ハリーホーク」である。ちなみにホークスの4番バッターでエース、背番号は100である。
アメリカ海軍のA-4攻撃機の愛称はスカイホークである。また、E-2早期警戒機の愛称はホークアイ。
本田技研工業が発売していた CB400NのサブネームはHAWKである。
航空自衛隊の練習機T-1には、「初鷹」という愛称があった。
北越急行線を走る特別急行列車「はくたか」は在来線で最速を誇る特急列車である。
鳥の名前に関係する市町村名は多いが、鷹は比較的少ない。代表的な都市に三鷹がある。全国6つある鷹の字の入ったの市町村では自治体交流でホークスサミットが行われた。

2009年04月03日

顔触れ言上

幕内以上の翌日の取り組みを一番ずつ一枚の和紙に相撲文字で書き、明日の取り組みを土俵上で披露する。この儀式は顔触れ言上(かおぶれごんじょう)と呼ばれ、横綱土俵入りの後、中入り取り組みの前に行われ、三役格行司が口上を呼び上げる。

「はばかりながら、明日の取り組みをご披露つまかります、琴××に○○山、朝△△に□□里、…(中略)…、右、相つとめまするあいだ、明日もにぎにぎしく、ご来場をお待ち申し上げます」と呼び上げる。

掛け声 [編集]
行司の掛け声の中で最も特徴的なのが、「はっきょい、残った、残った」である。「はっきょい」とは、力士が動かない場合の掛け声であり、「発気揚揚」を意味しているとされるが、この解釈は第二次大戦中に定められたものである。実際には「はっけよい」と発音されることが多い。「残った」とは、力士が技をかけている場合の掛け声であり頑張って残れを意味している。

時間制限前:「かまえて」「見合うて」「油断なく」など
時間制限後:「時間です」
立会い:「待ったなし」「手をついて」「腰を下ろして」など
立会い不充分:「まだまだ」「待った」
取り組み中:「はっきよい」「残った」「よういはっけよい、よい」「進んで」
廻し不充分:「まわし、待った」
ノーメーク ジェルカン かじぼう スリナ ひこぼ ビオトープ マイクナキ フルーツ カラー ロッキー スイン ナナカマ けいは でんと ノクラス あみだ ジャン ストーン いかりがせ ハーモニー オーリ シングル キッザニ ガポド キック ヤード ダン アップテロ トリガー タフタ ムチン キューテ タイゲーム ハーフアド ききょう リズム でんでん イーグル ディルド オーラオン スケート ラッシ フルート 時の舟 セラック キープ モノクロ デリック フリーラ ブラック

行司家と行司名 [編集]
江戸時代までは、木村家と式守家以外に岩井家、木瀬家、長瀬家、服部家、吉田司家などが存在したが、現在では木村家と式守家だけが残っている。行司は各相撲部屋に所属しているため、一門や部屋ごとでそこに属する行司が木村家か式守家であるかが決まっている。そのため、入門した時点で木村家を名乗るか式守家を名乗るかは事実上決定している。

なお、入門時に木村(式守)家を名乗った場合、途中から式守(木村)家を名乗ることも可能である。しかし、伝統を重んじる角界では改名することを慣例的に行わない。入門するとまず自分の本名を名乗ることが多いが、経験を積んで行くにつれて先輩の行司名や、以下に挙げるような由緒ある行司名を名乗って三役格まで進み、立行司の伊之助、庄之助へと昇進して行く。

行司をめぐる主な出来事
1791年(寛政3年)6月11日 - 征夷大将軍徳川家斉の上覧相撲の際、町奉行池田筑後守から吉田司家(吉田追風)は認められなかったが、6月10日になって老中戸田采女正から行司を命じられ、一晩で土俵を作り「方屋開」を初めて行なった。
1827年(文政10年) - 吉田司家は江戸幕府により「江戸相撲方取締」という役を認められた。
1910年(明治43年)5月の夏場所に衣装がそれまでの裃、袴から烏帽子、直垂となった。
1927年 - 大坂相撲との合併で大阪相撲の立行司・木村玉之助が加わり、立行司は3人になる。もう1人の大坂立行司木村清之助は三役格に降格。
1951年 - 副立行司を新設、木村玉之助は副立行司に降格。
1958年 - 各部屋に所属していた行司は「行司部屋」として独自の部屋に所属となる。
1960年 - 行司定年制実施、行司の年寄襲名も不可能になる。副立行司を廃止。
1971年 - 25代木村庄之助以下行司全員が初のストライキを起こす。12月25日には協会に所属する行司30人が辞表を提出した。直後の1972年、初場所で差し違いした25代庄之助は出場停止となるが、3月に定年を待たずして退職した。
1973年 - 行司部屋が廃止され、再び各相撲部屋の所属になる。
1993年 - 28代木村庄之助、27代式守伊之助が相次いで定年退職し、史上初の立行司不在となる。結びの一番を三役格の3人が交互で担当し伊之助を争った結果、式守錦太夫が昇格(後の29代庄之助)。

2009年03月19日

教会堂の地下に眠っており、サンタ・レパラータ聖堂

現在のドームは3代目にあたる。旧聖堂は、現在の教会堂の地下に眠っており、サンタ・レパラータ聖堂と呼ばれた。最初の教会堂は4世紀から5世紀に古代ローマ時代のドムス跡に建設されたが、ビザンティン時代の戦役によって破壊されたために、7世紀から9世紀にかけて再建された。現在、このロマネスク様式の大聖堂は、その内観の一部が公開されており、側廊を持ち、後陣を柱で分ける平面形式をみることができる。
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14世紀に至るまで、建築、芸術の双方において主導権をにぎることのなかったフィレンツェだったが、ピサやシエナの大聖堂建立に触発されてこれを凌ぐ大聖堂の建設を開始した。1294年、フィレンツェ羊毛業組合 (Arte della Lana) は、最も高名な彫刻家であったアルノルフォ・ディ・カンビオにその設計を依頼した。のちに多くの工匠が携わったために、彼の最初の計画がどのようなものであったかは現在でも論争があるが、その形は現在のものとほぼ変わっておらず、中央部がサン・ジョヴァンニ洗礼堂の影響を受けて八角形であったこと、ローマ・カトリックの教会建築としては当時世界最大のものだったことは確実である。

1296年9月8日の起工式においてサンタ・マリア・デル・フィオーレと命名され、建設が開始される。市評議会は聖堂建設のために輸出するすべての物品に対し関税を、市民に対しては人頭税を課すことを決定した[1]。しかし1302年にアルノルフォが死去、建築はいったん中断した。大聖堂のための石材は、パラッツォ・ヴェッキオと第3市壁のために転用された。建築依頼主であるフィレンツェ羊毛業組合は建築責任者の後任を探し、1334年にジョットを指名した。彼は、鐘楼の計画を押し進めたが、塔の建築途中(1337年)に死去した。

1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タレンティ、アルベルト・アルノルディ、ジョヴァンニ・ダンブロージョ、ジョバンニ・ディ・ラポジーニ、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ、オルカーニャなどの手を経る。とくにタレンティは、1357年から1366年にかけて、東端部をアルノルフォの計画よりも拡張し、現在の形に変更した。 1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ(ドーム部分)を残すのみとなった。

2009年03月04日

星をみるひと

退廃的なサイバーパンク風の未来世界で、超能力を持つ主人公みなみが、襲い来る「サイキック狩り」と戦いながら仲間を増やして進んでゆくSFロールプレイングゲーム。同社が1984年にPC-8801及びFM-7で発売したゲームサイキックシティーの続編的な位置づけとなっていて、超能力者などの設定やバックグラウンドを引き継いでいる。また、全体的にヒントの少ない謎解き、単純な勧善懲悪ではないSF的ストーリー、序盤から高めの戦闘バランス、プレイヤーの選択によって変わるエンディングなど、かなりパソコンゲーム寄りな作りであった。

未来。「クルーIII」と呼ばれるコンピュータに管理された巨大都市「アークCITY」から、老人に連れ出されて逃げ出してきた記憶喪失のサイキック「みなみ」が、旅の途中で出会った仲間と共に、この世界の謎を解いていき、最終的には人類が進むべき道を選択する事になる。

アークCITY
物語世界にある巨大都市。周囲の海が汚染されている。サイキックが捕らえられている。サイキック探知機を持った警備員が巡回している。居住区の住民の話より、彼らの世界は、巨大な宇宙船である事が判明する。
クルーIII
アークCITYの住民をマインドコントロールによって支配・管理しているスーパーコンピュータ。マインドコントロールによって、人々からその存在の記憶は消されている。本来は住民の「悪意」を取り除き治安を維持するのが目的であったが、600年という長い年月を経て、現在は人間でない別の生物(イルカ族・シャチ族)を主としたため、「人間(サイキック)」の運命は大きく変わる。現在のクルーIIIの主目的は、「主」を新しい「地球」へと導く事である。なお、マインドコントロールは完全でなくなっているようだ。
サイキック
クルーIIIによるマインドコントロールの影響を受け付けない新たな人間。まじめに情報収集をすれば、彼らがクルーIIIによって作られたミュータントである事が、物語後半に判明する。また、宇宙服無しに酸素パイプのみで宇宙空間に出られる、移住前に改造が必要な惑星に行ける、など、普通の人間では生存できない環境でも対応できる能力を持っていると推測できる。
サイキック狩り
クルーIIIに操られたロボットや生物兵器が行うサイキック捕獲。彼らはサイキックを見つけると突然襲ってくる。クルーIIIに洗脳されている人々は、サイキックが「人類の敵」であるためサイキック狩りが行われていると理解している。しかしその真の理由は、「新しい主」が彼らと対等に話が出来るアシスタントを欲したため。

登場人物
みなみ
主人公。サイキックの少年。記憶を失っている。特定のブロックを壊す「ぶれいく」が得意。
しば
サイキックの少年。瞬間移動「じゃんぷ」が得意。発電所に捕らえられている。
みさ
サイキックの少女。ダメージ床を無傷で歩く「しーるど」が得意。仲間にする手順が大変面倒かつ難解なため、ほとんどのプレイヤーが仲間にする事が出来ず、それ以上進めないと思い込みクリアを諦めた人も多い。序盤で存在がほのめかされるので重要キャラのようであるが、実は居なくてもクリア可能。
あいね
サイキックの少女。心の声を聞く「てれぱし」が得意。ゲームの流れからは、しばの次に仲間になる「3人目」キャラなのだが、画面では最後尾に置かれている「4人目」キャラという不思議な扱い。アークCITYの居住区にたどり着ければ簡単に仲間になるが、居なければクリア不可能な最重要キャラである。
まむすの村にいるサイキック(名前無し)
「しーるど」の能力者で、話しかけると味方を回復してくれる。若くないらしいので仲間にはならないが、みさがアークCITYに居る事を教えてくれる。
でうすの村にいる老人(名前無し)
幼い頃のみなみをアークCITYから連れ出した人物。
かつま大佐
かつてはサイキックを「人類の敵」と考えていたが、そうではない真実を知り、みなみ達に希望を託す。
行政区の病院にいる男(名前無し)
みさの所在について知っているらしい男。
まっくす
病院にいる男が「仲間について知りたければ会って来い」と言った青年。
なたーしゃ
みさの所在を知っている、もう一人の人物。警備室の管理をしている青年・あーさとは知り合いである。口調と名前は女性だが、ドット絵が汎用男性の使いまわしなため、一部のファンの間からはオカマではないかとも言われている。
イルカ族
人類以上の知能を持つ生命体。惑星「あくあ」を自分たちが住める環境にするためのアシスタントを欲している。サイキック達とは共存が可能と考えている。
シャチ族
人類以上の知能を持つ生命体。人類には進歩がなく共存は不可能と考え、サイキックも信用していない。それに加え、イルカ族よりも自分達の方が優れてると考えており、対立している。

地名・場所
マムスの村
スタート地点の一歩左に歩いた所にある村。住民が力を合わせ、村の姿を外から見えないようにしている。そのためフィールド上では町のグラフィックがない。姿を消している理由は語られないが、サイキック狩りから逃れる目的であると考えられる。
デウスの村
謎の病リンスキン病に侵されている。主人公が「アイム」の薬を所持していると全員完治するが、手放すと再発する。
洞窟
リンスキン病を治療する「アイム」の薬を調合するために必要な「えくのみ」が手に入る。マムスの村と同じく姿が見えなくなっている。
発電所
仲間の一人である「しば」が捕らえられている。止まっている発電機を動かすとマムスの村からアークCITYへ行けるようになる。
アークCITY
物語世界の中核都市。ここから敵が強くなり、普通にプレイして最初にやって来た時はESPか素手による攻撃でないと、まずダメージを与えられない。
居住区
仲間の一人であるあいねが居て、話しかけると仲間になる。
行政区
病院や研究所、警備室などがある。仲間の1人である「みさ」が警備室に捕らえられており、複雑な手順を踏むと仲間になる。
ブレイン室
コンピュータルーム。途中には「酸素パイプ」が落ちているが、マップでは姿が見えない。
アークCITY地下
エネルギー管理室も途中にある。「酸素パイプ」があれば、ここから宇宙タワーへ進める。
宇宙タワー
「酸素パイプ」が無いと来られない。「ラボラトリー」と「コックピット」に進める道がある。
ラボラトリー
最終到達地点の1つ。ここと「コックピット」は壁の中を歩く事が可能で、壁の中に居ると敵が出現しない。
コックピット
最終到達地点の1つ。ここでサイキック達は、3つに分かたれた道を、どれか1つ選ぶことになる。

くすり
このゲームでは、手に入れた「くすりのもと」をマムスの村にいる薬剤師に調合してもらうことで、薬を手に入れることができる。ただし、「かりう」はマイナスアイテムで、うっかり使うと病気に侵されてしまう。

エンディング
エンディングは主人公の考えによって変化する、マルチエンディングシステムである。

システム面の仕様
このゲームには、以下のようにシステム面において数々の独特な仕様がある。これらの仕様により「星をみるひと」は、数あるファミコンゲームの中でも異彩を放つゲームとしてプレイヤーに認識されており、「バカゲー・クソゲー」とする者がいる一方で、熱狂的なファンによるリメイク版フリーウェアの頒布なども行われている。

マップ・移動関連
開始直後、主人公は何の指示も与えられないまま、いきなりフィールドに放り出されている。しかも最初に向かうべき街は何の前触れも無く「超能力で隠れている」という設定で見えない。

ホット・ビィ作品の例に漏れず、キャラクターの移動速度が極めて遅い。1マス移動するのに0.5秒かかる。

街などの子マップからフィールド上に戻ったり、敵との戦闘から「てれぽーと」のESPでの逃走に失敗したりすると、元の場所ではなく、フィールドごとに決まったポイントに飛ばされる。例えば、2つめの街に入りその街から出ると、その街がある場所ではなく、1つめの街があった場所になぜか戻される。場合によっては、物語進行上先にあるはずの行ったことのない場所に出てしまう。

中盤以降、ドアを開けるために必要となる「IDカード」が最強クラスの装備品並、あるいはそれの数倍もの値段と高価である上に、使い捨てである。しかも一度開けてもドアはまた閉まるため、一枚しかカードを持たない状態でドアのある部屋に入ると閉じ込められる事がある。また普通にプレイしていると最後に加入するキャラを仲間にするために「シルバーIDカード」が4つ必要になるが、上記の理由で入手が難しい。また、街から出ると遠くの場所まで飛んでしまう為、フラグを立てるために街を往復するというRPGでは基本となるはずの作業ですら困難となり、仲間にするのに手間がかかる。

クリアに不可欠な特定アイテムの入手方法が、「マップ上の特定地点を通過すると入手できる」というもの。全く見えず、しかも入手してもわずかな効果音がするのみ。

フィールド内には歩くとダメージを受ける場所が存在するが、ダメージを受けている事に気づかせる描写が一切ない。そして、キャラクターが死んだ時に初めてそのメッセージが表示される。そのため、気が付いたらいつの間にか死んでいることがある。

パスワード関連
パスワードの文字数や文字種類が多く、ゲーム内では大半のテキストが平仮名なのに、パスワードのみ片仮名や特殊記号が使用されている。中には見た目で区別しにくいフォントもあり、念入りな確認が要求された。しかもプレイ内容は完全には保持されず、不完全にしか受け継がれない。

パスワードの文字入力は文字一覧から選択するのではなく、十字キーの上下で「あ⇔い⇔う⇔…」というように一文字ずつ送らなくてはならず、時間がかかる。

装備・戦闘関連
戦闘からの逃走コマンドがない。「てれぽーと」というESPで敵から逃げられるが、主人公のレベルがある程度上がらないと使えないため、序盤は逃走が不可能である。また初期状態のキャラクターでも安全に倒せる程度の弱い敵というものが存在しないため、ゲーム開始直後に運悪く強い敵に出会ってしまうと(ゲーム開始直後でも「ふっかつしゃ」「さらまんど」といった敵と普通にエンカウントする等)、何もできずにいきなりゲームオーバーとなってしまう可能性がある。
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戦闘中にコマンドのキャンセルバックができないため、操作ミスが致命的である。

武器を装備していない素手の攻撃で敵に与えうるダメージは、キャラクターのレベルと無関係に0 - 3という低い範囲で一定である。また、レベルを上げきったキャラが武器を装備していても、最高で15程度のダメージしか与えられない。

武器や防具は次に他の装備と買いかえるまで外せない。新たに装備を買うと前に装備していた物は自動的に売却されるが、このとき売却したことを伝えるメッセージがなく、破棄されていると勘違いされやすい。また武器を装備させても、その武器の威力とキャラクターの「熟練度」(他の一般的なRPGの「力」にあたるパラメーター)が低いと、かえって敵にダメージを全く与えられなくなる事がある。最初の村で買える最も安い武器「れいがん」を装備させると、ほとんどの敵に対しダメージが0で固定になり、素手の状態(ダメージ0から3)よりもかえって不利になってしまう。無論、装備の解除はできない。

「さらまんど」などの敵が投げる「かりう」を喰らうと「病気」というバッドステータスになる。「病気」になると一切の行動ができなくなるが、この状態は戦闘中には回復する事が無く、パーティ全員が「病気」になると全滅したのと同じ意味となる。なお、実際にゲームオーバーになるのはその後パーティの全員が死ぬまで延々と攻撃されてからなのだが、非常に死にやすい序盤とは逆に終盤になると敵の攻撃力に対しプレイヤーキャラの体力が豊富すぎる状態になっており、実際に全滅するまで非常に時間がかかる場合がある。

RPGでは恒例のラスボスとの戦闘が存在しない。最後の選択肢で「戦う」を選んだ場合、そのままエンディングとなり、その文中で主人公達が敗北したことが伝えられる。

2009年02月13日

河原崎家の一族2

人里離れた土地に建つ館を舞台にした猟奇性と淫靡性の溢れるシナリオと、タイトルや河原崎縄綱の名称にある『河原崎』を除けば、前作『河原崎家の一族』との共通点は一切無い。つまり、前作の続編ではない全くの新作である。

ゲームシステムには改良が加えられ、本編ウィンドウとは別にシナリオの分岐がよくわかる別ウィンドウ「ナビマップ」が用いられるなど、MS-DOS時代に制作された前作とは違い、Windows時代に相応しい仕様となっている。
月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

田舎の人里離れた山奥に建つ館・河原崎家。そこでは、当主の河原崎縄綱が数人の使用人達と共に暮らしていた。縄綱が64歳の誕生日を迎えるその日、彼の養子の智樹と真樹、そして杏奈が館に集められる。杏奈の恋人である主人公の優馬も、彼女と共に河原崎家を訪れていた。

その夜、優馬は縄綱と使用人達が行う異質な性行為を、偶然にも覗き見てしまう。メイドの一人・美香は困惑の色を隠せない優馬の前に跪くと、そのまま彼の股間へ顔を埋め、フェラチオを開始。予想外かつ続け様の異変と襲い来る快感に、優馬はたまらず射精してしまうが、美香は何の躊躇いも恥じらいも見せること無く、精液を浴びた顔に不敵な笑みを浮かべるのだった。

困惑に次ぐ困惑の事態。しかしそれは、この館に渦巻くドス黒い陰謀の序章でしかなかったことを、優馬は後に知ることになる。杏奈を連れて館を出ようとする彼の前には、何度も何度も河原崎家の門が立ち塞がるのだから…。

登場人物
声優陣はアダルトゲーム版・アダルトアニメ版共に共通だが、全て非公開。

主人公
優馬(ゆうま)
杏奈の恋人で、彼女と同じ大学に通う平凡な大学生。

ヒロイン
杏奈(あんな)
主人公・優馬の恋人で、縄綱の3人の養子の1人。養父の誕生日を祝うために河原崎の館に帰ったところ、惨劇に巻き込まれる。性格は優しく、人格問題者である縄綱にさえ、娘としての気遣いを向ける。実の母親の形見である指輪を大切にしている。
真樹(まき)
縄綱の3人の養子の1人で、智樹の妹。縄綱の誕生日を祝うために智樹と共に館に呼び寄せられて、惨劇に巻き込まれる。外見も言動も幼いが、ませたところがあり、年上の男性として主人公に興味を示す。
鈴音(すずね)
河原崎の館で住み込みのメイドとして働く少女。父親が縄綱に対して莫大な借金を抱えてしまい、そのカタとして館に連れてこられる。そのために縄綱らに逆らうことが出来ず、今回の惨劇では縄綱の手先として、不本意ながら主人公たちを罠にはめようとする。だが、実質的には被害者側の立場。
美香(みか)
河原崎の館で勤めるメイドの女性。だが、性格は残虐で凶暴と、メイドというよりは女王様。今回の惨劇では縄綱の手先として主人公たちを恐怖の淵に追い込んでいく。幼少期に父親から性的な虐待を受けていて、それが彼女の人格を捻じ曲げたのかもしれない。
奈津子(なつこ)
たまたま河原崎の館の近くの森を恋人と共に散策していたところを、その美貌が故に縄綱らに拉致され、この惨劇に巻き込まれてしまった悲劇の女性。

その他
河原崎縄綱(かわらざき なわつな)
稲垣(いながき)
智樹(ともき)
健吾(けんご)

2009年01月27日

ソ連対日参戦

ソ連対日参戦(ソれんたいにちさんせん)とは、当時の満州国で1945年8月9日未明に開始された、大日本帝国の関東軍とソビエト連邦の極東ソビエト連邦軍との間で行われた満州・北朝鮮における一連の作戦・戦闘と、大日本帝国の第五方面軍とソビエト連邦の極東ソビエト連邦軍との間で行われた南樺太・千島列島における一連の作戦・戦闘。ソ連軍が圧勝した。

日本の防衛省防衛研究所戦史部ではこの一連の戦闘を「対ソ防衛戦」と呼んでいるが、ソ連では主戦場が満州であったこともあり、8月の嵐作戦、ソ日戦争または満洲の戦いと呼ばれることが多い。ここでは日本の歴史教科書でも一般的に用いられている「ソ連対日参戦」を使用する。

19世紀のロシア帝国の時代から日本は対露(対ソ)の軍事的な対決を予想し、その準備を進めてきた。ロシア革命後もソ連は世界を共産主義化することを至上目標に掲げ、ヨーロッパ並びに東アジアへ勢力圏を拡大しようと積極的であった。極東での日ソの軍拡競争は昭和8年からすでに始まっており、当時の日本軍は対ソ戦備の拡充のために、本国と現地が連携し、関東軍がその中核となって軍事力の育成を非常に積極的に推進したが、昭和11年ごろにはすでに圧倒的なソ連の国力から戦備に決定的な開きが現れており、師団数、装備の性能、陣地・飛行場・掩蔽施設の規模内容、兵站にわたって極東ソ連軍の戦力は関東軍のそれを大きく凌いでいた。

張鼓峰事件やノモンハン事件において日ソ両軍は戦闘を行い、関東軍はその作戦上の戦力差などを認識したが、陸軍省の関心は南進論が力を得る中、東南アジアへと急速に移っており、軍備の重点も太平洋戦争(大東亜戦争)勃発で南方へと移行する。戦局の悪化は関東軍戦力の南方戦線への抽出をもたらした。満洲における日本の軍事力が急速に低下する一方でドイツ軍は敗退を続け、ソ連側に余力が生じたことでソ連の対日参戦が現実味を帯び始める。

情勢認識
ソ連はヨーロッパ方面においてドイツを破ったのちに、日本と事を構える方針であった。ヤルタ会談においては、ルーズベルト大統領の要請に答える形で、ドイツ降伏後3ヶ月での対日参戦を約束。1945年4月には、1941年に締結された5年間の有効期間をもつ日ソ中立条約の延長を求めないことを、日本政府に通告した。ドイツ降伏後は、シベリア鉄道をフル稼働させて、満州国境に、巨大な軍事力の集積を行った。

日本政府はソ連との日ソ中立条約を頼みにソ連を仲介した連合国との外交交渉に働きかけを強めて、絶対無条件降伏ではなく国体保護や国土保衛を条件とした有条件降伏に何とか持ち込もうといた。しかしソ連が中立条約の不延長を宣言したことやソ連軍の動向などから、ドイツの降伏一ヵ月後に戦争指導会議において総合的な国際情勢について議論がなされ、ソ連の国家戦略、極東ソ連軍の状況、ソ連の輸送能力などから「ソ連軍の攻勢は時間の問題であり、今年(1945年)の八月か遅くても九月上旬あたりが危険」「八月以降は厳戒を要する」と結論づけている。

関東軍首脳部は、日本政府よりも事態を重大に見ていなかった。総司令官は昭和20年8月8日には新京を発ち、関東局総長に要請されて結成した国防団体の結成式に参列していたことに、それは表れている。時の山田総司令官は戦後に「ソ軍の進行はまだ先のことであろうとの気持ちであった」と語っている。ただし、山田総司令官は事態急変においては直ちに新京に帰還できる準備を整えており、事実ソ連軍の攻勢作戦が発動してすぐに司令部に復帰している。なお、六月に大本営の第五課課長白木末政大佐は新京において、状況の切迫性を当時の関東軍総参謀長に説得したところ、「東京では初秋の候はほとんど絶対的に危機だとし、今にもソ軍が出てくるようにみているようだが、そのように決め付けるものでもあるまい」と反論したと言われており、ソ連軍の攻勢をある程度予期していながらも、重大な警戒感は持っていなかった。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

関東軍第一課(作戦課)においては、参謀本部の情勢認識よりもはるかに楽観視していた。この原因は作戦準備がまったく整っておらず、戦時においては任務の達成がほぼ不可能であるという状況がもたらした希望的観測が大きく影響した。当時の関東軍は少しでも戦力の差を埋めるために、陣地の増設と武器資材の蓄積を急ぎ、基礎訓練を続けていたが、ソ連軍の侵攻が冬まで持ち越してもらいたいという願望が、「極東ソ連軍の後方補給の準備は十月に及ぶ」との推測になっていた。つまり、関東軍作戦課においては、1945年の夏に厳戒態勢で望むものの、ドイツとの戦いで受けた損害の補填を行うソ連軍は早くとも9月以降、さらには来年に持ち越すこともありうると判断していたのだった。この作戦課の判断に基づいて作戦命令は下され、指揮下全部隊はこれを徹底されるものであった。

関東軍の前線部隊においては、ソ連軍の動きについて情報を得ており、第三方面軍作戦参謀の回想によれば、ソ連軍が満ソ国境三方面において兵力が拡充され、作戦準備が活発に行われていることを察知、特に東方面においては火砲少なくとも200門以上が配備されており、ソ連軍の侵攻は必至であると考えられていた。そのため8月3日に直通電話によって関東軍作戦課の作戦班長草地貞吾参謀に情勢判断を求めたところ、「関東軍においてソ連が今直ちに攻勢を取り得ない体勢にあり、参戦は9月以降になるであろうとの見解である」と回答があった。その旨は関東軍全体に明示されたが、8月9日早朝、草地参謀から「みごとに奇襲されたよ」との電話があった、と語られている。

さらに第四軍司令官上村幹男中将は情勢分析に非常に熱心であり、7月ころから絶えず北および西方面における情報を収集し、独自に総合研究したところ、8月3日にソ連軍の対日作戦の準備は終了し、その数日中に侵攻する可能性が高いと判断したため、第四軍は直ちに対応戦備を整え始めた。また8月4日に関東軍総参謀長がハイラル方面に出張中と知り、帰還途上のチチハル飛行場に着陸を要請し、直接面談することを申し入れて見解を伝えたものの、総参謀長は第四軍としての独自の対応については賛同したが、関東軍全体としての対応は考えていないと伝えた。そこで上村軍司令官は部下の軍参謀長を西(ハイラル)方面、作戦主任参謀を北方面に急派してソ連軍の侵攻について警告し、侵攻が始まったら計画通りに敵を拒止するように伝えた。

他方、北海道・樺太・千島方面を管轄していた第五方面軍は、アッツ島玉砕やキスカ撤退により千島への圧力が増大したことから、同地域における対米戦備の充実を志向、樺太においても国境付近より南部の要地の防備を勧めていた。が、1945年5月9日、大本営から「対米作戦中蘇国参戦セル場合ニ於ケル北東方面対蘇作戦計画要領」で対ソ作戦準備を指示され、再び対ソ作戦に転換する。このため、陸上国境を接する樺太の重要性が認識されるが、兵力が限られていたことから、北海道本島を優先、たとえソ連軍が侵攻してきたとしても兵力は増強しないこととした。 しかし、上記のような戦略転換にもかかわらず、国境方面へ充当する兵力量が定まらないなど、実際の施策は停滞していた。千島においては既に制海権が危機に瀕していることから、北千島では現状の兵力を維持、中千島兵力は南千島への抽出が図られた。

樺太において陸軍の部隊の主力となっていたのは第88師団であった。同師団は偵察等での状況把握や、ソ連軍東送の情報から8月攻勢は必至と判断、方面軍に報告すると共に師団の対ソ転換を上申したが、現体勢に変化なしという方面軍の回答を得たのみだった。 対ソ作戦計画が整えられ、各連隊長以下島内の主要幹部に対ソ転換が告げられたのは8月6・7日の豊原での会議においてのことであった。 千島においては、前記の大本営からの要領でも、地理的な関係もあり対米戦が重視されていたが、島嶼戦を前提とした陣地構築がなされていたため、仮想敵の変更はそれほど大きな影響を与えなかった。

ソ連軍
ソ連戦史によれば、対ソ防衛戦におけるソ連軍の攻勢作戦の概要としては、第一に鉄道輸送を用いて圧倒的な兵力を準備し、第二にその集中した膨大な戦力を秘匿しつつ満州地方に対して東西北からの三方面軍に編成して分進合撃を行い、第三に作戦発動とともに急襲を加え、速戦即決の目的を達することがあげられる。微視的に看れば、ソ連軍は西方面においては左翼一部を除いて大部分は遭遇戦の方式でもって日本軍を撃滅しようとし、一方東方面においては徹底的な陣地攻撃の方式をとっている。北方面は東西の戦局を見極ながらの攻撃という支援的な作戦であった。 北樺太及びカムチャツカ方面では、開戦の初期は防衛にあたり、満洲における主作戦の進展次第で南樺太および千島への進攻を行なうこととした。

2009年01月19日

ピンク映画

ピンク映画(ピンクえいが)とは日本のポルノ映画のうち、大手以外の映画製作会社によって製作された作品のこと。代表的な制作・配給会社としては新東宝映画、オーピー映画(旧大蔵映画、Okura Pictureより)、新日本映像(エクセス・フィルム)がある。

この他に制作のみを行っている国映があり、配給は新東宝映画に委託されている。

こうしたピンク映画の傍流にゲイ・ポルノ(古くは薔薇族映画とも呼んでいた)と呼ばれる同性愛者向けのポルノ映画があり、大阪市でピンク映画館を経営しているENKプロモーション(正式には東梅田日活㈱)とオーピー映画が制作・配給し、独自に経営する専門館で興行まで行っている。なおENKプロモーションは大阪を拠点にしている数少ない映画会社である。

なお、ポルノ映画という名前を日本で初めて使って映画を作ったのは東映である。1968年から1977年にかけて作られていた。網走番外地シリーズでNO.1ヒットを出していた石井輝男ら一般映画でも一流の監督達が演出し、一般映画でも主演スターである梅宮辰夫、丹波哲郎、吉田輝雄、伊吹吾郎らが登場する。そこからポルノの女王と言われる池玲子や杉本美樹らがスターとなっていき、フランスポルノの女王サンドラ・ジュリアンやクリスチーナ・リンドバーグらがゲスト出演した。豪華な時代劇のセットや衣装を使い、後の日活のポルノとは桁違いの大金を投じていた。当時の日本映画は2本立てが基本であるため、ヤクザ映画と併映されていた。

日活は60年代も後半に入ると石原裕次郎、小林旭の肥満や作品のマンネリのため客足が遠のき、後発のスターも観客動員力がなく経営破綻に陥った。成人映画なら一般映画より一桁少ない制作費でも客入りが見込めると1971年にポルノ専門の会社に転進。日活ロマンポルノを名乗った。ポルノを嫌った日活の既存のスターはテレビドラマや他社の映画の仕事を求めて辞めていった。一方、既に名を成していた映画監督らについては、この機に日活を離れた者が多いが、それ以外のスタッフについては、日活に残ってそのままロマンポルノの制作に従事した者も少なくない。
人材・作風などからピンク映画をスケールアップしたものが多い。ロマンポルノは予算が零細企業が作るピンク映画に比べれば潤沢であり、日活社有のスタジオが利用でき、俳優・監督なども事実上の日活専属が多かった事からピンク映画とは様々な面でカラーが異なっていた。ピンク映画業界のスターだった女優や監督など優秀な人材が日活にヘッドハンティングされる事もあり、決して対等・良好な関係とは言えなかった。ただし、1980年代後半以降、諸般の事情からロマンポルノにピンク映画出身の監督が次々に進出するようになり、垣根は取り払われていった。

日本では「ピンク」という色が用いられているが、アメリカでの類似映画は、フィルムを青く着色していたことから「ブルーフィルム」と呼ばれる。なお英語で「ピンクフィルム」と言うと、「左翼がかった映画」(「赤」に近い)という意味になる。

起源と歴史
ピンク映画の起源ははっきりとしていない。一般的には、1950-60年代、テレビの普及で職を奪われたニュース映画や教育映画関係者達が糊口を凌ぐためにお色気をテーマにした短編・中篇映画を製作し、これを同じく衰退しつつあった小規模なニュース映画専門館に供給したのが始まりといわれる。

この頃、ピンク映画という言葉は無く、「お色気映画」などとも呼ばれていたというが、夕刊紙「内外タイムス」文化芸能部の記者で、後に映画評論家の故・村井實(村井実)が昭和38年に関孝司監督、沼尻麻奈美主演の映画である「情欲の洞窟」を取材した際、「おピンク映画」とこれらの作品群を呼ぶ造語を作り、その後「お」が外れてピンク映画という言葉が誕生したといわれる。

当時は文字通り「お色気」に徹した作品であり、現在の過激な性描写には程遠い代物だった。また、作品としての質も決して高くなかった。 しかし、1961年の新東宝倒産が一つの転機となる。新東宝の経営を追われた大蔵貢が大蔵映画を設立。また、新東宝関西支店の有志が新東宝興業(現在の新東宝映画)を設立してピンク映画界の二大会社が成立する。また、一般の劇映画を経験した監督やスタッフが次々に進出し、若松孝二監督の様に才能のある人材も次々にピンク映画に参入してきた。特に若松は「若松プロ」を設立し、ピンク映画というよりは一種の芸術作品として問題作を発表し、ピンク映画の価値を高めた。
ン新世紀 パートナ フコキ センター 真実の愛 オクシ ピンク バッハ マーケッ イスト バッテラ ショットバ レーシ ストラ パンク テレック オクシ スイッチ イエローサ バレル プノンペン 旅への扉 ロック しょうなん ベール スポイト こごみ グース ビンデ ロブス シャーレ リビエラ レーム ガクア スピン ラムネ カナキン トロポニン データフ ほろのべ マイセン テンポラリ きょうきょ ピングカー ザイソ ズロース プレート チュービ ンチェーン シラカン

その一方で業界の淘汰・再編も進み、1960年代中盤には新東宝・大蔵などは全国各地の成人館を一般映画同様、チェーン化していった。1970年には日活ロマンポルノの一定の成功もあって、東映セントラルフィルム、東活(事実上の松竹系)、ミリオンフィルム(後のジョイパックフィルム、現在のヒューマックスシネマ)といったメジャー系のピンク映画製作会社も出現した。

1980年代前半はピンク映画の最盛期であり、これら製作会社が多数発表する一方で、ゲイ・ポルノ等も製作が開始される。しかし、1980年代後半はアダルトビデオに市場を奪われ衰退、さらにピンク映画に対する映画業界による自主規制などからメジャー系製作会社は次々に撤退。1988年のロマンポルノの撤退も含めて、1990年代には市場が大幅に縮小した。

表現の特徴
ピンク映画は文字通り、性描写を第一義とする映画である。しかし、長らく性描写に対する規制が強かった事、監督やスタッフに映画業界関係者が少なからず存在する事、大学や映画専門学校出身の作家(監督、脚本家)やスタッフ、俳優がそもそも映画業界志望であって一般映画への憧憬が強かった事などから性描写に力点を置きつつも、一般映画としての質を望む事も多かった。

このため、欧米のポルノ映画ではあまり省みられない映画としての評価と、性描写や女優の美貌などポルノとしてのクオリティが共存する日本独特の物となった。

ピンク映画は低予算、早撮りを特徴としており、一般的な作品の場合300万円程度の予算で撮影期間は三日ほど。従って、多くの場合には二晩徹夜で撮影をし続ける。かつては専用スタジオを用いた撮影も一部で行われていたが、一般的にはオールロケが主流である。限られた予算の補助のために、ロケとして用いられたホテルや飲食店のクレジットを映画の内部に表示するなど、苦心の策も用いられたという。

ピンク映画の作風は作家も影響するが、それ以上に影響が強いのが会社側の要求である。一般的に作家側は芸術的・映画的な作風を望むのに対し、会社側は性描写などポルノとしてのクオリティを望む事が多い。このぶつかり合いの中で作品が生まれると言ってよい。

低予算・短期間で、作家性の強い新人を多く起用する事からピンク映画は一種のインディペンデントな作品に思われる事もあるが、ピンク映画そのものはむしろかつてのプログラムピクチャーの方に性格は近く、このような制限の中で作家側が独自のカラーを出す事が重要となる。
この「縛り」は会社によってまちまちであり、厳しく条件を要求しアダルトビデオに追随するような作品を求める会社もあれば、作家側に裁量を多く与えている鷹揚な会社もある。作家主義が出易いのは当然後者であり、ミニシアターや映画祭において上映されて「映画」として評価されるのはこのような作品である。
その一方で会社・ピンク映画に特化した観客に好評なのは前者において制作されたポルノとしての性格が強い作品という場合もあり、時として(ピンク映画に興味を持つ)一般映画ファンとピンク映画ファンにおいて評価の違いを生み出す事がしばしばある。

しかし、このような低予算・早撮りという制作形態はかつてのアメリカB級映画と共通しており、事実大手制作会社が一部の大作を除き自社制作から撤退し、社員監督を雇わなくなってからはアメリカのB級映画がそうであったように、ピンク映画が映画監督の養成期間であると同時に登竜門として重要な役割を果たしていた。

その影響
ピンク映画の出身には若松孝二、崔洋一のような「大家」から黒沢清、周防正行のような「作家主義」の監督までおり、日本映画においてピンク映画の果たした役割の重要性が伺える。

ポルノとしてのライバルは相変わらずアダルトビデオやアダルトコンテンツなどであり、特に若い観客層を奪い続けている。ただ、その一方で映画作品として質の高さが再評価される事により、作家性の高いピンク映画がロマンポルノと共にDVDなどソフトとして復活したりしており、意外に底堅い一面もある。また、アダルトビデオから人気女優が進出してくるケースも(人材不足も手伝って)90年代以降では盛んになり、そうした作品で優れたものはアダルトビデオファンをピンク映画に取り込む事も多くなっている。このため、Vシネマに代表されるビデオ作品が新人養成と監督への登竜門の役割を担いつつある。

上映館の現状
客層としては自宅の個室でアダルトビデオなどのポルノ作品を鑑賞する環境を持つことの出来ない、出稼ぎ労働者、老人などが主で、過去において常連だった学生などはほとんど見られない。特に冬季に暖気を求めてやってくる客層は開館から閉館時まで居座ることがある。

しかし、近年、上映館の相次ぐ廃館やシネマコンプレックスへの転身により上映と製作の機会が激減している。ピンク映画館は個人経営の場合が多く、観客減と経営者の高齢化などで閉館する場合が多い。比較的規模の大きいピンク映画館運営会社でも、すでにピンク映画に集客力は無いと判断し、閉館や一般映画館への転換を図っているケースがほとんどである。